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2016年10月25日


【担当アナウンサー:小林 康秀】


黒田投手の引退決断のニュース。
夜間練習が始まる17時前に、チームメイトに引退の意向を伝えると同時に引退が発表されました。
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いつかこの時は来るだろうとわかっていても、何ともいえない気持ちに包まれました。
スタジオに急きょ駆け付けて下さった解説の安仁屋さんも横山さんも言葉を詰まらせました。
それにしても選手やファンに与えた功績が大きすぎる。
ここまで存在感のある人はなかなかいないですね。

でも引退とはいえ、まだ日本シリーズが残っている。
「お疲れ様」という言葉は、シリーズ後に取っておいて、最後の勇士を目に焼き付けたいですね。
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2016年06月23日


【担当アナウンサー:小林 康秀】


会社の机を少し片づけていたら、
懐かしい写真などが出てくることってありますよね。
数日前みつけた写真がこれです。

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入社一年目の写真です。
研修中ですね。
みんなおなかに手を当てて声を出しています。
「アーーーーーーーーーーーーーーッ!」
私の時は同期三人左から石橋、吉川、小林。
一番右は当時のアナウンス部長橋本雅明さんです。
大変お世話になりました。

さて、みんなどこを見ているのでしょう?
まるで、「あの太陽に向かって叫べ!!」という感じですが、
見ているのは太陽ではなく、壁に取り付けられている時計。
どれだけ長い時間、声を出し続けられるか、ということなんです。
こうやってのどを鍛えていくのです。

緊張感のあるスタジオの中で、
おなかに力を入れて発声しないといけないので、
空腹であったり、腸の動きが活発だったりして、
おなかがグーグーなるんです。
私だけでなく、みんな。
「だれだ?いま鳴らしたのは?(笑)」
なんて橋本部長に言われながら、使っていないスタジオで、
滑舌をよくするための練習や、原稿読みをやっていましたね。

そんな研修が2か月ほどあった後の、初鳴き…。
交通情報と天気予報からでしたが、
吐きそうになるくらいの緊張感だったことを覚えています(笑)


今年、久々の男性アナウンサーとなる伊東平が入社。
先々週、ラジオでの初鳴きを済ませ、
昨日ニュース6のスポーツコーナーの担当として初めて出演を果たしました。

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アナウンサーとしての入社は今年は彼一人だけのため、
我々の時と違って、マンツーマンで、
更に緊張感のある中での研修を乗り越えてきた男です。
これからちょくちょく番組に出てもらいます。
どうぞお見知りおきを…。

そんな中で先ほどの写真を見つけ、
こんな時代もあったなあと、
あの時の緊張感を忘れないようにしないといけないなと、
今度はちょくちょく見つけそうな場所に片付けました(笑)

2016年03月14日


【担当アナウンサー:小林 康秀】


先日深夜0時から、広島市中央卸売市場の魚市場に撮影に行ってきました。
広島市中央卸売市場
<広島市中央卸売市場>

市場の花、「せり」の時間は4時くらいなので、
ちょっと早すぎる時間ですが、意外とそうでもないんです。
市場には深夜0時くらいから、船やトラックで魚が次々とやってきます。
最近って、セリにかかる前に、
相対取引といって一対一の直接取引によって
入荷が少ない魚種は売り切れてしまうんです。

では何を撮りに行ったのか…。
それは「カサゴ」と「ガザミ」なんです。
出汁がよく出てとても上品な味わいの「カサゴ」
カサゴ
<カサゴ>

淡泊だが上品な甘みの、ワタリガニとも呼ばれる「ガザミ」
ガザミ
<ガザミ>

お店でいただくと、そこそこの値段がする高級魚種なんです。

いわゆる瀬戸内らしい海の幸です。
しかし全国的に知られているのは、広島の場合どうしても「牡蛎」ですよね。
次に「小いわし」ですかね。
その次がぱっと出てきません。
県では、次なる瀬戸内海の名物を作ろうとしているのです。

「カサゴ」をいろんな料理方法でいただきました。
とても味わい深く、例えば観光客もこれを食べると、
リピーターになっていただけるのではというおいしさでした。
料理人の北岡三千男さんもカサゴの潜在力に期待する
<料理人の北岡三千男さんもカサゴの潜在力に期待する>

どうやって…。
実はこの2種類は、稚魚を養殖して放流することができるのです。
そこで、2016年度から「カサゴ」「ガザミ」を集中的に大量放流する計画です。

しかしなぜ高級魚に絞るのでしょうか?
瀬戸内海の漁獲量は、環境の変化で減少の一途をたどりました。
漁業の担い手も、高齢化で減り続けています。
新たな担い手を増やすためには、
ある程度、稼げる魚種が必要なのです。

「稼げる瀬戸内になるために」

今度は、広島にやってくる知り合いと
「カサゴ」食べたいと思います。

2015年11月19日

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【担当アナウンサー:小林 康秀】


いま、和食ブームの影響もあり、日本酒の海外への輸出が増加しています。我らが広島の地酒も、徐々にですが海外への輸出量を増やそうとしています。そして去年から本格的に県内の酒蔵がタッグを組んで、「広島の酒」を海外に売り出そうという取り組みが進んでいます。

継続して取材しているのですが、実は私は日本酒は苦手でした。若いころ調子に乗って飲んでしまい、記憶を無くしてしまったり、悪酔いしてしまったというイメージから、日本酒離れしてしまっていたのです。

しかし取材を進めていく中で、さまざまな酒蔵を訪れて、酒造りに対するこだわりを聞いていくと、やっぱり『飲んでみたい』と思ってきたのです。酒造りは自然との対話、そして長年の経験、そしてまるで子供を育てていくような真心と情熱。その中で修練され続けて出来上がった代物なのです。そんな背景を聞いた後に飲む「日本酒」は、なんとも言えない味わいを、のど元から与えてくれるのです。

日本酒のおいしさに気付いた私は、もう一つ気づいたことがあります。飲み方です。私は、基本的にどの種類の酒も飲むのですが、だから違う種類の酒をあれこれと飲んでしまうんですよね。しかもがぶがぶと。これがいけなかったんですね!よく日本酒は「ちびちび」飲むものだといわれますが、その酒の味わいをじっくり感じながら飲めば、変な酔い方はしなくなりました。

40を過ぎて、ようやくこんな基本的なことを理解したわけですが(笑)
、おかげでおいしく日本酒を飲めるようになっただけでなく、これまで飲んだことのなかった銘柄との出会いが本当に楽しくなりました。

私と同じとは言いませんが、過去の似たような経験やイメージから実際若い世代の日本酒離れというのは進みました。国内は少子化で人口も減っていく。国内需要も減っていくなかで、海外に活路を求めようという動きは当然かもしれません。でも酒蔵の人はおっしゃっていました。「本当に売りたいのは日本です。逆輸入ではないけど、日本の人に気付いてもらうために、海外での評価も得て、国内に訴えかけたい」

山口の獺祭が海外でブームと聞きますが、広島も負けないでがんばってほしいですね。

2015年07月23日

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【担当アナウンサー:小林 康秀】


先月、走り回る子どもの面倒を見ていた際、ぬかるんだ地面に足を取られ、
低い鉄柵に足が入りそうになったため踏ん張ったところ、複雑に捻って足首を骨折しました。
まさに一瞬の出来事でした。

人生初めての骨折、そして手術。会社に入って初めての長期間の休養は、まさに驚きの連続でした。
・怪我直後の行き場の無い「激痛」。
・病院でレントゲンを撮って初めて認識した「骨折」という事実(折れたと思っていなかった)
・ニュース6で踏み込んで伝えられた休養するという「お知らせ」。
・手術後、二晩眠ることができなかったなんとも言えない「痛み」。 
・その後、すぐ始まったリハビリで日々感じる事が出来た「回復」。

3週間少々の入院でしたが、めまぐるしくてあっという間でした。しかし、こんなに長く番組を休んだことが無かったため、皆さんに申し訳無いなという気持ちと、治すためには焦ってはいけないという気持ちが複雑に入り交じっていた3週間少々でした。

救急車で運びこまれる時も複雑な気持ちでした。怪我をして痛みに苦しみ、もがいている姿を見て親族が救急車を呼びました。しかし私はその時点で、骨折などしたと思っていませんでした。救急医療を取材していた私は、「救急車をタクシー代わりに使わないで下さい」と呼びかけているのに、その自分が救急車を呼んでいいものだろうかという疑問が、激痛の中ですが、渦巻いてきました。思わず「救急車を断って!」と叫んでしまいました。ええ?と親族が困惑したので、改めて足の状態を確認したところ、やはり立つ事が出来ない。私は観念してそのまま来ていただきました。もちろん救急車で運ばれてよかったと思いますが、取材者が当事者になってしまう複雑な気持ちは今も拭えません。

退院後、20日月曜日から会社に復帰し、ニュース6に出演しております。今、一番驚いているのは、怪我をした状況が、伝え聞いた人々に意外にも多く間違って伝わっているという事実。なぜか先輩や、同僚の怪我の状況と間違われていたり、もっと重傷だと伝えられていたり、怪我をした場所が、流川や並木通り、しまいにはどこかの料亭だと伝わっていたり(笑)(実際は安佐南区でした)今は、ご心配していただいている皆さんに現在の状況を含めてお伝えしている日々です。
 
 とりとめなく書きましたが、手術は本当に大変でした。もちろん怪我はしないほうがいいに決まっています。『危険は身の回りに潜んでいる』その事を肝に銘じながら、日々生活をしなければと感じている毎日です。

2015年03月19日

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【担当アナウンサー:小林 康秀】


東日本大震災から4年が経過しました。
今年もニュース6の取材で福島県相馬市に入りました。相馬取材は3回目となります。
まだまだがれきが山積みだった町並みが、整然と撤去されて更地になり、
そして今年は工事が至るところで始まっていました。

この取材のきっかけは、広島市から相馬市役所に派遣されている職員の福馬さんの取材でした。
その人を通して感じたことや、出会った現地の皆さんを取材してきました。
今回は、その現地の皆さんが、広島の市民グループと共に、
東京で現状を報告するイベントが開かれるので、改めて現地を訪れたのです。
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今回の取材では、報告のイベントで震災時の体験を話すことになった、
若い漁師の菊地さんにお話しを聞きました。
取材の日はちょうど漁に出た日で、水揚げに立ち会いましたが、粋のいい魚介類があがっていました。
しかし今は試験操業しかできない状況で、毎日漁は出来ません。捕れる魚も決まっています。
原発事故の影響で本格操業がいつになったら出来るのか、何も決まっていません。
この日にあがった魚で基準値を超えるものはありませんでしたが、風評被害に悩まされているといいます。
そんな中でも、菊地さんらは後ろ向きにならず、本格操業になる日を目指して、若手の育成や、新たな漁法に挑戦するなどして、時間があるからこそ出来ることに挑戦していました。
震災時では、家が流され、おばさんが亡くなるなど大変な目にあった菊地さん。
しかし、震災の深夜に生まれた次女と長女、妻などご家族を守るために、日々活動されていました。

菊地さんなど相馬市の皆さんのイベント参加を呼びかけたのが、
広島の市民グループの一員で、昨年まで相馬市に派遣されていた職員、福馬さんでした。
現地の皆さんとの交流は、派遣後も続いているのです。
福馬さんはこう話します。
「つながりに終わりはないですよね。終わらないから、つながっているんですよ」
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4年という月日は、派遣職員も交代で帰ったり、ボランティアも減ったりするなどして、現地の皆さんはなおさら「自立」していかなければならないと感じているそうですが、建物や施設の復興のように目に見える形では徐々に自立していけるのでしょうが、心の復興はなかなか難しいそうです。
まだまだ、何らかの手助けを必要とされています。
これは広島の土砂災害でもそうですが、やはり時間の経過だけで片付く問題では無いようです。
東北の皆さんは、是非いまの被災地の状況を見て下さいと話します。

私もなんらかの形でつながっていきたい。改めてそう思いました。

2014年11月20日

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【担当アナウンサー:小林 康秀】


災害から3か月となりました。
被災地を歩くと、少しずつですが災害前の様子に戻りつつあります。
しかし、被害の大きかったところに行くと、土砂は取り除かれてはいるものの、
取り壊され更地となった、災害前とは違う光景が広がっています。

被災者の皆さんは、
災害直後、住むところをどうするか、悩まれた方が大勢いらっしゃいました。
3か月経ってどうなったのか。
新たに住まいの悩みを抱える方が出現しています。

と言うのも、民間などが住まいを無償で提供したマンションなどの多くは、
3か月という期限が付いているのです。

被災者の中には住んでいる家を、終の棲家と考えて人も多かったはず。
そんな方が、被害を受けて、仮の住まいへ、そしてさらに次の仮住まいへ。
想像も付かないつらさだと思います。

我々に出来ること。
それはそういった皆さんの思いを伝えること。
そしてこのような災害に至らないように、
その教訓をしっかりとなんらかの形でデータベース化することだと思っています。

少しでも早く元の生活に近づけるよう、番組を通して応援し続けたいと思っています。

そんな最中。
政界からは「解散の風」が吹き荒れています。
あまりにも急激に強まったこの風。
何もこんな時に…、
こんなに急に…。
そんな思いの方が多いと思います。
私もそうです。

しかし、直面するその選挙で、自分達の思いをしっかりとぶつけることも必要だと思います。

政治不信?選挙に行くってかっこよくない?…。

でもそんな政治を間接的に支えているのは、我々国民です。

例えば広島で起こったような災害が、
二度と起こらないような対策や決意を示す政党はないか。
例えば集団的自衛権についての考え方が、自分の考えに近い政党はどこか。

一票入れなくても変わらないなんてウソです。
だって皆さんも、
被災者の皆さんのためにと義援金を寄付された方も多いと思いますが、考え方は同じなんです。
束になれば、多くの人を助けたり、世の中の流れを少しでも変える事が出来る。
そう思いませんか?

まだ今日(20日)の時点では、
解散していないので総選挙があるかどうかはっきりとは言えませんが、
投票所に足を運んで、しっかりと一票を投じて頂ければと思います。

2014年07月24日

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【担当アナウンサー:小林 康秀】


いきなり子どもっぽい話で、スイマセン。
小さな頃から怪獣映画をよく見ていて、特に「ゴジラ」はよく見に行っていました。
私にとって一番のインパクトは1984年に公開された『ゴジラ』
(小林桂樹さん、田中健さん、沢口靖子さんら出演)。

所詮、怪獣映画だよね、と思わないで下さい。私はこの映画から様々な事を学びました。
例えば『非核三原則』。
核を持たず、作らず、持ち込ませず。
日本がかかげる核に対する基本的な方針です。
当時の米ソが、日本に上陸するゴジラに対し核攻撃をしかけてよいかと要望してきた際、
日本の総理大臣が持ち出した言葉です。
小学校六年生の当時、その言葉がとても印象的でした。

この時の映画は、社会的・国際的な状況、時代背景や、最先端の科学的な知見を取り入れる努力がなされたものでした。
アドバイザーとして、地球物理学者の第一人者竹内均東大名誉教授や、耐震工学者の大崎順彦東大名誉教授、ジャーナリストの田原総一朗氏などが特別スタッフとして関わったので、リアルな状況が作り出されたのです。
水爆実験で生まれたゴジラ。
もちろんエンターテイメント的な要素もありましたが、そういった世の中の動きを学ばせてくれる存在でした。

私の夢は『ゴジラ』で、現場からリポートする役をやってみたいのですが、無理ですかね。
出演したいなあ(笑)

いよいよ明日から、(まるで宣伝みたいですが)米国の手による2作目ハリウッド版『ゴジラ』が上映されます。
もちろん出演のオファーはありませんでしたが(笑)
今回の映画は、ハリウッド版の1作目よりも、より日本のものに近いと言うことで、大変楽しみにしています。
初日はどうしても行けないのですが、2日目以降に見に行きたいと思います。
どんな内容なんでしょうねえ。

2014年03月27日

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【担当アナウンサー:小林 康秀】


まもなく4月。
もう次のアナウンサー日記かと思い、時間の経過に驚いております。

前回投稿から3か月を振り替えると、
気を付けていても、なぜか毎年のようにかかっていたインフルエンザには、
今年は奇跡的にり患せず、冬を越しました。やったー!

しかし、その代わりと言ってはなんですが、
感染性胃腸炎に2度かかり七転八倒するは、
自転車で2度も転倒もするは(前方に一回転とサイドから滑り込み転倒の2回)、
そしてかかりたくなかった、春の花粉症にどうもかかったみたい。
春は出会いの季節ですが、そんな出会いはしたくなかった…。

よく休まず仕事を続けられたなと我ながら思ってしまった散々な年度末でしたが、
気持ちをきちんと切り替えて新年度には臨もうと思います(笑)。

ニュース6ではスポーツコーナーを3年つとめてくれた下程さんが勇退し、
新たなメンバーとお伝えすることになります。
消費税増税などの逆風に負けない春にするべく、
体調をきちんと維持しつつ(^_^;)、いつも通り元気にお伝えします!

2013年12月12日

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【担当アナウンサー:小林 康秀】


「サンフレッチェ広島、奇跡の優勝」
そんな言葉が紙面に並びましたが、私は奇跡だとは思いません。
奇跡とは常識で考えて起こりえない出来事。
確かに可能性は低かったかもしれませんし、他力本願の面も否めませんが、
チームがやるべく事をやって勝ち取ったものだと思うからです。


試合当日、現地に乗り込みました。
朝早い便で行くはずが、飛行機がまさかの機材トラブル。
1時間遅れで到着したため、満席の乗客の多くはサンフレサポーターでしたが、
新たなスケジュールで現地に行かなければならなかったでしょう。
私も通常行かないであろうルートのバスに乗って現地入り。
優勝の可能性のある両チームの戦いとあって、直通バスや最寄りの電車は満員だったと言うことです。


そんな中で迎えた広島対鹿島戦。
まず驚いたのが、鹿島の圧倒的な応援の組織力のすばらしさ。
さすがJリーグスタート時から上位争いを続けている強豪チームのサポーターだなと感じました。
しかしその中にあっても、サンフレッチェのサポーターの声は負けていなかったのです。
正にピッチの外での戦いも激しかった。
このサポーターの声を聞いてサンフレの選手達は、気持ちよくプレーが出来たはずです。


前半に先制点をあげてリードし、人数が少なくなったあとで後半は2点目。
選手達ももちろん頑張っていました。
戦いはとても落ち着いて見えました。
去年優勝したという経験がそうさせているのかもしれません。
やるべき事をやっている。そんな試合でした。

「さー行こうぜどこまでーも、走り出せー、走り出せー…」
押せ押せのムードの中の大合唱に、私もスタンドで見ていて身震いをしました。
横浜の状況も伝わってくる中、優勝決定の報せは、「びっくり」したものでは無く、
「確信」を得たものでした。

試合後、佐藤寿人選手がこう語っていました。
「とにかくびっくりしている。僕たちに出来ることは2位以上という結果を残すこと。
優勝を望んでいるサポーターの皆さんのおかげで優勝することが出来た」と言います。
もちろん可能性は低かったかもしれません。
しかしスタンドや、パブリックビューイングの応援が後押しになったことは間違いありません。

森保監督は最後にこんなコメントを残しました。
「一年間、一喜一憂することはあるけれど、一喜一憂する幅が小さいチームが成熟したチームだ。
今年は選手達が本当にそれを実践してくれた。」

ピッチの外では優勝戦の直前も聞きたくないようないろんな事がありました。しかしやるべき事をやる。
まさにぶれない戦い方をするというのがこの一年だとすれば、
それを最後に後押ししたのがサポーターの声だったのでしょう。

連覇おめでとう、サンフレッチェ広島。
そして、天皇杯も期待しています!

2013年08月15日

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【担当アナウンサー:小林 康秀】


お盆です!
今年は15日が週の真ん中なので、
10日から丸々一週間休んでいる人もいるようで、うらやましい限りです。

ただ、人によって過ごし方が違いますよね。
例えば私が普段出入りしている役所などは、
基本的にお盆だからといってお休みにはなりません。

広報の人に話を聞くと
「うちの部署は週の前半と後半に分かれて休んでいます。」といった感じ。

働いている人がいっぱいで、熱気に満ちている普段と比べると閑散としているので、暑いこの時期、仕事をするには過ごしやすい環境にも見えました。
銀行などもそんな感じでしょうか?

さて我らがRCCはどうかというと、
部署や番組によっては、しっかりお休みをとっているところもありますね。

では報道部はどうかというと、残念ながら(?)ほぼいつも通り。
ニュース6」はお盆だからと言ってお休みになった試しは、私がニュースを担当するようになったこの9回のお盆中、一度もありません。





そんなお盆に仕事をして、良いことと悪いことがあります。
良いことは、昼食をとるため、会社の近くに出ることがありますが、

普段行列のできている店舗が、比較的楽に入りやすいこと。
悪いことは、お盆休みをしているお店が多いため、店探しに苦労することです!!(汗)

すいません…。結局食べ物の話で…。

でも、こんな蒸し暑い夏、少しでもモチベーションを高めるには、せめて食事くらいはきっちりとりたいもの。

夏バテを防ぐためにも、
なるべく食欲の湧くものをきちんと食べて、夏を乗り切りたいですよね。
そんなことを考えていたら、会社を休む間もなく、いつも、いつの間にか8月が過ぎていくのです…。

2013年04月18日

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【担当アナウンサー:小林 康秀 】


今回は、ニュース6で何度も伝えてきた広島県の「ドクターヘリ」導入についてです。私が番組で伝え始めたのは今から3年ほど前。ヘリ導入に向けて本当に動き出すのかどうかわからない状況のころでした。なぜ取材を始めたのか…。

阪神大震災の時、上空を飛び交うヘリコプターの映像を見て、なぜもっと救出活動に使えないのだろうと疑問を抱いたのを覚えています。(実際、国内のドクターヘリ導入への動きは、そういう素朴な疑問から加速していったと聞きます)その後、各県で導入が進んでいる中、私がニュース番組を始める前の9年ほど前、地元紙の記事に「広島県、ドクターヘリ試行」という文字を見つけ、いよいよ始まるのか…と思い、私の中ではそのままになっていました。

それから時は過ぎ、3年前、県庁の記者クラブに毎日出入りしていたころ、一枚のリリースが回ってきました。そこにはこう書いてありました。「ドクターヘリ“的”事業の医師看護師による研修会」。なんだろうこの「的」という文字は?そう感じていろいろ調べると、他県が行っているドクターヘリ事業とは、異なる運用が見えてきました。

ドクターヘリとは緊急に高度な医療が必要とする患者のために、医師と看護師が乗り込んで救急現場に向かい、いち早く患者と接触して初期治療を始めるというもの。そのことにより、救命率を上げる狙いがあります。一般にドクターヘリの定義では、出動要請後、3分から5分程度で、そばに待機している医師・看護師を乗せて離陸するものとありました。

しかし広島の場合は3分から5分では現場に向かえないのです。広島は西飛行場(当時)や広島空港に待機している、消防・防災ヘリを使用していました。要請を受けて飛び立った後、いったん病院へ向かい、医師・看護師を乗せて現場に向かうのです。だから「的」という文字がついているのです。

ドクターヘリであった場合と広島の「的」の場合の現場到着までの時間差は平均18分です。
緊急に高度な医療が必要な患者のためには、1分1秒が大事なことは言うまでもありません。この時間差で助かる命はまだあったはずです。また、そもそも消防・防災ヘリには、ドクターヘリ的な活動以外に、本来の消防・防災の任務もあるため、いつでもドクターヘリ的事業のために準備をしているわけではありません。

そういった理由で、年間出動件数が、近隣の岡山と比べ10分の1少ない状況でもありました。(ただもちろん“的”事業で助かった命もあり、またこの“的”事業があったからこそ、今回のドクターヘリ事業への移行は比較的スムーズだったことは付け加えたいと思います。)

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そんな事情もあり、これまで財政的な事情などで、専用の「ドクターヘリ」導入を見送ってきた「県」もようやく重い腰を上げて、導入へと舵を切りました。
導入によって県内の医療はもとより、県境を越えた連携を進めることで、ドクターヘリは県外からも、あるいは県外へも現場に向かい、少しでも救える命をすくい上げるために活動していくことでしょう。


imageなにより現場で働くフライトドクター、フライトナースは使命感に燃えています。
広島の場合は、広島大学病院と県立広島病院の医師・看護師が参加するのですが、病院の垣根を越えて、連携を深めています。

また日本医科医大学千葉北総病院での研修の様子も取材させていただきましたが、現場でイニシアチブがしっかりとれる医師・看護師になって、広島でもいいドクターヘリ事業が行えるように、そしてそういう仲間ができる事を期待していました。


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番組でもお伝えしましたし、初めて出させてもらった「イマなま」でもお伝えしましたが、決してこれで広島の遠隔地医療が賄えるわけではなく、これからもすべての根底である医師不足の解消を進めていかなければなりません。
その上で、このドクターヘリというツール、道具をいかに生かしていくか、ということにかかっていると思います。


5月1日から本格運航の予定です。今後の安全で、実のあるフライトを祈りたいと思います。


2012年11月29日

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【担当アナウンサー:小林 康秀】


先週の石橋アナウンサーに続き、2週連続でサンフレッチェです。
すばらしい!優勝おめでとう〜!!歴史的瞬間を目の当たりにしました!

小雨が降る中、ぎっしりと埋まったスタンド。
拍手、声援、歓声、どよめき。
地鳴りがするように、響き渡ります。

前の週、浦和戦の取材班として埼玉に乗り込んだ私は、「we are reds!」と連呼するレッズサポーターの声と、
その声を発するための息づかいまで聞こえる圧倒感を初めて感じ、
サポーターを味方につけて戦う、「ホーム」の利のお手本を見せつけられました。
あの雰囲気は鳥肌が立ちました。

そして先週末のビッグアーチ。
負けていませんでした。こちらも鳥肌もんです。
サンフレの圧倒的な空気をサポーターはしっかりと作り上げていました。
実際試合は、申し分のない内容。
集まったお客さんを十分満足させる中身でした。

優勝の瞬間は、マスコミの人間としては失格だったかもしれません。
正直冷静でいられませんでした。
ただただピッチで喜びを分かち合うを見つめながら、
まるでブラインドのように降りてくる涙を何度も何度もこじ開けたような気がします。
これまで取材でお世話になった、歴代の選手や関係者が頭をよぎったのです。

試合開始前、Jリーグ開幕当時から実況を続けている東京の局の先輩と話しました。
「ヴェルディとのチャンピオンシップもここでしゃべったけど、
優勝をのがしてあれから19年もそのままのチームとは思えない。もっと早く決めるべきチームだよ」
本当にその通りだと思います。
2度のJ2降格もありました。
そんな様々な試練があったからこそ、喜びは2倍にも3倍にもなったと思います。

私の初めてのサンフレッチェ取材は、吉田町のユースチームの取材でした。
当時高校生だった森崎和幸選手の合宿所の部屋を取材させてもらったのをいまでも思い出します。
いまその選手たちが、チームの軸として支えています。
試合後、「いままで色々とありすぎで、すぐには振り返ることができない。
本当にサッカーをやってて良かった」という言葉は本当に印象的でした。

会見では佐藤選手の言葉も記憶に残りました。
「まだまだこれからがスタート。もっと良いクラブになるために、ピッチ内外でやっていきたい」
そうです。優勝ですべて終わりではないのです。
20年経ったチームが更に大きくなるための挑戦はまさにこれからです。


追伸
さて、長々と書きましたが、私はあと二つやり残したことがありました。
一つは優勝の翌日果たしたのですが、宮島に行って鹿にお礼参りをすることです。
浦和戦の日、仙台に引き分けた鹿島へのお礼も込めて、マスコットの「鹿」にお礼をせねばと…。
そしてもうひとつ、白鳥(新潟)にもお礼をしないと。
どこにいる白鳥にしようか、いま検討してます(笑)