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2017年03月02日

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【担当アナウンサー:一柳 信行】


野球が無い時期は会社にいることが多くなる私。社内にいる時間が長いと普段見えなかったものが見えたり、気が付かなかったことにあらためて気付かされることがたくさんあります。

そんな私が昨年の秋から気になってしかたがないことがあります。
それが、この写真です。
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ある後輩女子アナのおでこです。いいおでこしていると思いませんか?
真っ白で、適度に丸みがあって、軽くたたくと「パシン!」といい音が鳴りそうな気がしてなりません。ただ、今日は前夜の不摂生のせいか、大人のニキビがひとつ・・・。
でも、もうとにかく気になるんです。
アナウンス部の部屋で会った時はまず挨拶。
それからどうでもいい話を暫くした後にお互いの仕事に入るわけですが、人と話をする時って相手の目を見ながらしますよね。でも私は、彼女の目は少し見るだけで、ほぼおでこを見ながら話をしています。

そのおでこが、最近はむきたてのゆで卵に見えてきました。
本物のゆで卵なら「パクン!」と食べてしまえばいいのですが、相手は女子アナなのでそういうわけにはいかない。触れてはいけないのです。
そういえばヨーロッパの童話で、王子が姫のおでこにキスをしたら姫は眠りから覚めましたという話がありましたが、私は王子様ではありませんし、後輩もお姫様ではありません。
だいたいそんなロマンチックな間柄ではない。

私が高校生から大学生のころ、友達の女の子はおでこを出す髪形を好んでいなかったような覚えがあります。出したとしても、その上から少しだけ前髪を垂らしていたような気がしています。
それが、我が後輩女子アナは、気持ちがいいほどのおでこ全開で会社にやって来る。TVにも出る。磨き上げたそのおでこへの化粧のノリは、もちろんいいみたいだ。

そのおでこの持ち主は、この人です。
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ど〜です?今日も気前よく全開でしょ。
アナウンス部のおでこ大王は石橋君ですが、この日記を書いている今日はお休み。写真を掲載できません。代わりに出勤している最年少の伊東君のおでこと、私のもアップしました。
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伊東君は、まだまだみずみずしい。富士額に憧れていた私でしたが、かすりもしないおでこです。
こんなアナウンス部員ですが、仕事は一所懸命やっています(たぶんですが・・・)。
これからもラジオ・テレビでお会いしましょうね。
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2016年11月10日

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【担当アナウンサー:一柳 信行】


11月の中旬になりました。カープの41年振りの優勝パレードが終わり、湧き上がった広島の街も少し静けさが戻ってきました。
RCC中がカープに夢中になっていた10月、野球好きの社員達にとって1年に1度の大イベントがありました。この日記を何度も読んで下さっているあなたなら、もうおわかりでしょう。
そうです。JNN中四国野球大会です。

今年は山口県防府市での開催。広島市内からも車で約1時間半で到着するので、かなり近い。
野球勤務シフトに当たらないことを神に祈りつつ待った結果、幸運にも見事にクリアー!。
数日前から風呂上りのストレッチを再開し、スパイクとグローブの手入れ。もう心はすっかり野球少年。40代だけど。

なのにである。当日は朝から土砂降りの雨。急遽、雨用のグローブをバッグに入れ替える私。後輩と一緒に高速道路で向かう車窓からの景色は、もう絶望的。
中止と読んだ私は、防府を通過してイッキに下関の唐戸市場に行き、美味しいお寿司を食べに行くプランを提案。車中はすっかりその気になってアゲアゲテンション。
「スシ!スシ!」。「ふぐ!ふぐ!」。の大連呼。急に楽しいドライブに変わったのです。
もう頭の中からは完全に野球のことは抜け落ち、食の妄想だけが膨らんできた。

そして近づく防府東IC。ここで降りずに本当に下関まで行くべきか?
しかし、運悪く?ワイパーフル稼働で凌いでいた雨が小降りになってきた。
判断を鈍らせる状況だ。もしも試合があった場合、仲間に迷惑をかけてしまう。
う〜ん、決断出来ずに走ること数キロ。野球を取るべきかスシを取るべきか・・・。

その時南西の方向から見えたのは、僅かながらの青い空。
「中止はない!」
左にハンドルを切った私達の車は、とめどなく流れていた唾液を飲みこみ、防府市内の会場へと急いだのでありました。

着くとビックリ。以外にも水たまりが少ない。聞いてみると、ホスト局のテレビ山口の皆さんが早朝から水取りをしてくださっていたとのこと。
しかも1時間遅れで始められそうだという。下関まで行かずにおいて良かった。

さてさて、肝心の試合ですが、まずは私の写真を1枚パチリ。
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守備では最後までノーエラーで、足を引っ張らずに済んでホッとしました。
しかし打つほうは、これがサッパリ。
半年前マスターズ甲子園の県予選で私の見逃し三振で試合終了になった反省から、ストレート1本に絞って初球から振り回す私。
長打でも打てたら「覇気を出して打ちました!」と仲間に答える気満々でしたが、相手投手は野球経験者。見事に見透かされていました。
左腕からのカーブ攻めにあった私は、剣もほろろ状態。でも仲間が奮闘し、試合は快勝。

その後は昼食タイム。野球部長との1枚をパチリ。
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スシじゃなかったけど、大変美味しくいただきました。用意してくださったテレビ山口さんに感謝。

続いて行われた第2試合。これまた相手投手は野球経験者で、今度は右の速球派。
ストレート1本待ちで振るのですが、足元からバウンドするファールばかり。
捕手に聞いたら「ツーシームです。」との応え。
その後もインサイドへのシュートと速球攻めにあった私は、結局ノーヒット。今でも左手首が痛い。
安仁屋さんにシュートの打ち方教えてもらっておけばよかった・・・。
しかも試合は1点差での惜敗。優勝を逃してしまった。

そして迎えた夜の懇親会。
負けた悔しさを究極の笑顔に変えて、テレビ山口さんの若い女子アナの手を握りたがる
うちの若い野球部員。

さらに、やけ食いに走る若手野球部員。
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あ〜ぁ、Very CarpのTシャツが泣いている・・・。
でも愛社精神に溢れる若手野球部員に、どうか神の御加護がありますように。
こうして山口での夜はふけていったのでした。

2016年06月30日

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【担当アナウンサー:一柳 信行】


プロ野球は交流戦も終わり、今度の節目はオールスター戦というところでしょうか。
連日ファンの期待と声援を受け、カクテル光線の下熱戦を繰り広げるカープも気になりますが、私一柳、久しぶりに野球に興じてきました。
と言ってもちょっと前のことになりましたが、高校野球OBが再度甲子園を目指す大会、マスターズ甲子園の広島県予選に出て来ました。


大会自体は10年位前から始まっているものの、我が校は参加し始めて今年は3年目。
選手登録は50人位しているはずですが、試合の日が仕事と重なることもあり、来られる選手は結構少ない。
私も一昨年と去年は都合がつかず欠場。
今年は休みの日に当たってくれてラッキー!。
初出場にこぎつけたのでした。


20代30代の頃はまだ10代の余力でそこそこ動けていました。
RCC野球部の活動も活発で、何とかなっていました。
しかし、今40代後半。
特にこの5年くらいは野球部の試合に2〜3試合しか行けていません。
今回も、丁度1年前位にこの大会に向けて1日練習しましたが、それ以来のユニフォーム姿です。

 で、久しぶりのユニフォーム姿が、これです。
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ど〜です? 因みに相手は、去年の広島県代表の広陵。
打者が私。
真ん中に写っている大きな捕手が、広陵の選手。
明らかに私よりもでっかい。
さすが名門校の出身者は体つきが違った。

この大会、幅広い年齢層の選手が出場できるようにとの配慮から、若い選手は試合の前半に、我々おっさん組は試合後半からの出場がメインになります。
まずは、サードの守備から入った私。
一番守り慣れたポジションのはずなのに、久しぶりの試合なので、守備に全く自信がない・・・。
「絶対に飛んでくるな!」と弱気モード全開で守っていました。
そうしたら、念ずれば花開く?だったのか、一度も飛んで来ませんでした。
恥をかかずにすみました。

でも、打つほうは何となく自信があったんです。
根拠はありませんでしたけど。
というわけで、迎えた最終回2死で私に打席が回ってきました。
それが、さっきの写真のシーンです。
次打者サークルには、私の代に4番を打っていた同級生が控えていました。
彼は今、滋賀県に住んでいます。この日の試合のためにわざわざ新幹線で帰広して来ました。彼も私と同じ様に守備から入っていたため、この打席が初打席になります。
もし私が出塁出来なければ、彼は一度も打席に立てずに滋賀に帰らなければならなくなります。
彼のためにも、私一柳は、絶対に打たなければならなかったわけです。


追い込まれて迎えた5球目。
打球は見事にレフトスタンドに消えていく大ホームラン!。
「男一柳、新井ばりの渾身のフルスイングで、同級生につなぎました!」
となれば、熱闘甲子園のような美しい青春物語で話は完結するのですが、
もう我々は青春時代には戻れません。

内角低めの速球を自信を持って見送った私に、無情にも球審の「ストラーイクッ!!」のコールが突き刺さりました。
球が投手の指から離れた瞬間、捕手の「よ〜し!」の声。
「何言ってるんだ。ボールじゃん」と思って見送りましたが、後の祭り。
球審がストライクとコールすればそれまで。
同級生につなぐことは出来ませんでした。

夜、高校のある廿日市市内で打ち上げ。
私は夜勤に当たっていたので宴席には行かず、そのまま会社に直行しましたが、その席は、去年は私の別の同級生の見逃し三振で試合終了、今年も私の見逃し三振で試合終了、同学年の2年連続の失態ぶりにそれはそれで盛り上がったようです。

それにしても、やはり見逃し三振って、精神的にかなりへこみますね。
もうちょっとしたら、高校野球の甲子園県予選が始まります。
たった1校を除いて、あとの高校は例外なく敗れていきます。
その瞬間が見逃し三振になることのないよう、おっちゃんは祈っています。

最後に、試合直後の写真を1枚パチリ。
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2列目右から3人目が、私一柳。
同列左から2人目は私の1学年後輩。
彼は日本ハムの投手有原航平が中学時代、野球クラブチームの監督として直接指導をしていました。
因みに前列右から2人目は、清原和博氏ではありません。
よく似てはいるようですが・・・。

2016年03月24日

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【担当アナウンサー:一柳 信行】


私は、生来ファッションに無頓着です。時計にもそんなに凝りませんし、装飾品にもさほど興味はありません。
髪形も未だに自分でどんなのが似合うのかすら分かっていません。
これはたぶん、多感な時期に野球ばかりして、ジャージしか着なかった青春時代を過ごした弊害?と思っています(そういえば、中学時代、試合にギラギラのネックレスをしてきた同級生がいて、そいつはすぐに監督に大説教をされていた。さすがに高校時代はそんな同級生はいませんでしたが)。
だから、若い男がギラギラしたネックレスをしているのを見かけたり、キンピカのごっつい腕時計をしているのを目にすると、「こいつ、チャらいな」と思っています。

そんな私ですが、ここ何年かは、「それくらいは良いでしょう」と考えを変えた物が2つあります。
1つは、チタン入りのネックレス。よくプロ野球選手が首にかけているあれです。
聞くところによると、体調が良くなったり体の柔軟性が高まるとのこと。
疲れが出てくる夏場や、野球部の試合がある日にはすることにしています。
いただき物なのですが、軽いし、嫌みに見えないので、もう10年くらい愛用しています。

もう1つはこれです。

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この腕輪は、今月上旬に高校野球部の大先輩からいただいた物です。
その大先輩は、廿日市市の極楽寺山で、極楽寺の住職をされています。
菅梅行恭さんといいまして、ミスター赤ヘル山本浩二氏と同級生です。高校3年の夏は「3番サード菅梅、4番ピッチャー山本」で活躍され、甲子園にはわずかに手が届かなかったものの、新聞社から広島県内のベストナインに選ばれた好選手でした。
家業のお寺さんを継ぐため、京都の大学を卒業後帰広され、今に至るそうです。
そんな大先輩とも長いお付き合いをさせていただいています。

さて、この腕輪ですが、紫色の珠は水晶で出来ています。ほのかに白檀の香りもします。
驚いたのは、茶色した木の部分です。
よ〜く目を凝らして見ると、小さな文字が刻まれています。

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この文字はお経なんだそうです。
お経が刻まれたものを身に着けていると、なんとなく目に見えない何かに守られているような気分になります。
いただいた際の袋を見てみると、きちんと「御守護」とも書かれてありました。
そして入っていた桐の箱の中には、仏像の絵の上に「願い叶う腕輪」とも書かれていました。
世代は違えども、同じ学校の同じグラウンドで汗を流した後輩ということでそこまでして下さる姿に、感謝の気持ちでいっぱいになって極楽寺を後にしました。

この腕輪、翌日からすぐに使っています。
テレビに出ている際に手元を撮った時、ひょっとすると映ることがあるかもしれませんが、これは御守りであり、願い事がかなうためのもの。
決してファッションではありません。

そ〜です。
私はチャラくないんです!。

2015年11月26日

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【担当アナウンサー:一柳 信行】


プロ野球シーズンが終わり、個人的にはちょっとホッとできる時期になっています。
そして、この時期になると、野球シーズンにはしていない仕事が舞い込んできます。
情報バラエティー系番組の中継・ロケやイベントの司会が、私の場合それにあたります。

というわけで、今月下旬に1つ行ってきたのが、母校の記念イベントの司会です。
(正確にいうと、これは仕事というより恩返しのようなものです)
実は、私の母校県立廿日市高校が、今年創立100周年を迎えました。
我が母校の大物OBは、ご存じミスター赤ヘル・山本浩二さん。
その大OBを迎え、昼は現役生徒や学校関係者を前にトークショー。
夜は広島市内に会場を移し、歴代の卒業生との記念祝賀会でした。

昼の部で驚いたのは、生徒会長の挨拶の立派なこと。
国会・県会・市議会議員をはじめ多数の教育関係者を前に、堂々とした姿でした。
彼女は全く声が震えることなく大役を果たし終えました。
まさに「びっくりポン!」な女の子。相当肝が据わっていました。
そして現役の生徒達が楽しみにしていたのは、ミスターのトークショー。
実際の回し役はRCCアナウンサーの先輩であり、母校の先輩でもある川島宏治氏がされたので、私はミスターの隣で、その言葉一つ一つに「へぇ〜」「ほぉ〜」「それで、そのあとは?」くらいしか喋りませんでしたが、生徒たちは目の前にいるミスターの姿や肉声を聞くことで、喜んでくれていたように見えました。

夜の部の祝賀会は司会者らしいお喋りをしたわけですが、もう460人以上もいると、とにかく先輩方は凄いんです。
シャンソン歌手の奥田晶子さんの校歌独唱は、その迫力に圧倒されましたが、もう鏡開きからグチャグチャ。
100年にわたり多様な人材を輩出している通り、全く皆さん檀上で同じ方向を向かない(笑)。
ウクレレ奏者寺本隆さんの演奏に聞き入ったと思いきや、歌手のREDEYEさんの歌には両手を振り上げてスイングの連続。
四十肩五十肩の先輩方は無理しないでください!と言っておけばよかった・・・。
そんななか、今春卒業したばかりの花岡なつみさんが、今年の日本レコード大賞の新人賞にノミネートされたとの知らせも入り、そこでも大盛り上がり。

さて、芸能関係から議員まで幅広い卒業生がそろう中、ミスターは最後まで祝賀会に同席してくださいました。
もうとにかく皆が一緒に写真を撮りたがるので、ミスターはほとんど食事をとれない。
そういう状態が続くにもかかわらず、常に笑顔で写真に納まり続ける姿は見習わなければと思いました。

なのに、野球部の同級生と野球部のOB会長が私のところへやって来た。
「浩二さんに一緒に写真写ってもらえないか、一柳から頼んでくれ。」
同級生からだけの頼みなら、ちょっと遠慮したほうがええんじゃない?まだ全然お食事とっていらっしゃらないし・・・と言えたが、OB会長までニコニコして私のところに来られては仕方がない。
ここは野球部の直接の後輩であることを武器にお願いしたところ、すぐに快諾してくださいました。

それが、この写真です。
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当日出席していた野球部同級生5人がミスターと一緒に写りましたが、OB会長と一緒に写るのを忘れていました。
OB会長すみません・・・。

そして、その直後にミスターはこうおっしゃいました。

「イモの水割りをくれないか?」


私一柳は、すぐにミスターのお酒を用意しに会場を走りました。
ミスターは、いも焼酎がお好きなことがわかりました。

そんなこんなで100周年記念祝賀会は幕を閉じました。
司会の仕事をしていたのでほとんど食事をとれなかった私に、同級生軍団がご馳走してくれるということになり、2次会に行きました。
でも会計時には、なぜか割り勘になっていました。あれっ?
創立100周年。本当に多様な人物がいるものです。

2015年08月06日

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【担当アナウンサー:一柳 信行】


暑い暑い。8月なんだから当たり前。暑い!と言った数だけ気温が下がればいいのだけど、そういうわけにはまいりません。
でも何とかして、この暑さをどうにかしたいと思っている方はたくさんいるでしょう。
しかも、それが職場だったらどうします?

服を脱ぎすぎるとエチケットを問われるので、私は足元を少しでも軽くするようにしています。
今日はTVニュース担当の日なのできちっとした服装で出社しています。だから履いている靴はちゃんとしています。

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ちゃんとしていますと書きましたが、結構汚れていました・・・。

しかしこの時期革靴を履いているとやはり暑い。革底の高級品なら通気性が優れているかもしれませんが、私が常に履くものにそんな高級品は存在しません。
というわけで、出勤している社員が少ない日や深夜に社内にいる日は、アナウンス部内ではこちらを履いています。

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もう5〜6年は使っていますが、かかとの部分が少し痛んでいるだけで、結構丈夫なモノに当たりました。軽いし足の締め付けも全くなく、快適です。特に足がむくんでくる時は重宝します。

そして、更に、靴下をはいているのも辛いくらい足がむくんだり、とにかく足が辛いときはこちらを履いています。

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この下駄は10年くらい前に県内の取材先で頂いたものです。日常生活で下駄を履くことはあまり無いのですが、会社の中で大活躍しています。社内で履くといっても、ワックスがけがしてある床だと滑るし、歩くと結構な音がします(本当は、あのカランコロンという高音が下駄の良いところでもあるのですが、さすがに会社の中で闊歩は出来ない)。
というわけで、実際の使い方としては、靴下を脱いで鼻緒の上に足を乗せて、指だけをムギュムギュ動かしてデスクワークをするわけです。これが意外にも気持ちが良い。

そして、最後のショットはこちら!

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白いサンダルが中根。紺色のサンダルが河村です。今日は2人とも素足で出勤しています。
中根のくるぶしに注目!自転車で転んで、名誉のすり傷なんだそうです。でも2人とも足もとは涼しそうです。
まだまだ暑い日が続きます。あ〜ぁ、早く涼しい秋が来ないかなぁ。

2015年04月09日

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【担当アナウンサー:一柳 信行】


今年もまた春がやってきました。
淡いピンクの花びらをつけた桜の木の下を、
濃紺のスーツ姿の新入社員らしい男女が歩く姿が、実に微笑ましく感じられる今日この頃です。
遡ること20数年前、私にもそんな時期がありました。

同期入社は私を含めて6人。
アナウンサー採用は私のほかに、女性が2人いました。
1人は身長165cm位で、入社試験の面接時に「背が高くて得することは何ですか?」との質問に、
「物干し竿にすぐ手が届くことです」と大真面目に答えたら試験官全員に大爆笑されて、もう落ちた・・・
と思っていたら内定が出てビックリしたそうです。

その同期はなかなかのオッチョコチョイでした。
ある日ラジオニュースの下読みを終えて準備万端でスタジオへ向かいました。
しかし、いつまで経っても手元のOAランプがつかない。
そうこうしているうちにOA時間が終わってしまいました。
後に確かめたら、入るスタジオを間違えていたのだとか。
そりゃ、ランプはつかない。
さらにその同期は、アナウンサーとしてのデビュー(これを私達の業界では、初鳴きという)も気にしていたようです。
なぜか私の初鳴きを録音したカセットテープを貸して欲しいと言うので渡したところ、なかなか戻ってこない。
そのうち返してくれるだろうと思っているうちに、私の方も貸したこと自体を忘れてしまっていました。
そして彼女は、その1年半後に寿退職。
私の貴重な初鳴きテープは彼女の新生活のお伴になったかどうかは分かりませんが、
私の手元にはありません。
そして、なぜ下手くそな初鳴きテープを貸してほしかったのかも聞きそびれたまんまです。

もう1人の女性は身長150儖未里笋箴さめの同期でした。
彼女はなかなかの肝っ玉の持ち主でした。
入社2日目、狭い会議室で当時の社長から、新社会人としての心構えなどの話を聞く研修をうけたのですが、
なんと彼女は爆睡・・・。
しかも社長の真正面に座っていたにもかかわらずです。
昼休みになって彼女にそのことを聞くと、「だってぇ〜、眠かったんだもぉ〜ん。」だと。
彼女も彼女だが、それを不問に付した当時の社長も、なかなか懐の深いお人のようでした。

そして、私一柳はどうかというと、人のことは言えません。
アナウンサー試験を受けて入社したものの、
高校や大学時代にそれなりの勉強をして入ってきたのかというと、
これが全くのゼロ。
アナウンサーにとって必需品のアクセント辞典を初めて見たのは、
入社して2週間経ってから。
単語ごとに色々なアクセント記号も一緒に添えられているのですが、
これが、さっぱり意味が分からないのです。
横棒やかぎ棒、○印など。はじめのうちは何とかごまかせていましたが、
見破られるのにそう時間はかかりませんでした。
そのあとはひたすら法則を覚えていきましたけど、今だにかなり怪しい。

 そうこうしているうちに20年以上の歳月が流れました。
去年入社した中根、河村の2人の女性アナも
この1日から「新人」という冠がとれました。
この2人は、明らかに私の2年目の頃よりも優秀です。
不器用な私を長く見守って下さった皆さん、一柳のことも宜しくお願いしますね。

2014年12月04日

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【担当アナウンサー:一柳 信行】


晩秋からいつの間にか初冬を迎えました。
何かと気忙しくなっていくこの時期、RCCでも年末年始の特番の話が飛び交っています。

ひとくくりにRCCアナウンス部員といっても、抱えている仕事の内容によって忙しい時期がバラバラ。
私、一柳はといいますと、実は今時期が一年で一番ゆっくり出来る時期です
(これを読んでくれているあなた、忙しかったら御免なさい)。
休みも取りやすくなります。ということで行ってきました。
何処へって?人間ドックにですよ。

今年は2年に1回の「お泊りコース」。1泊2日でガッツリ診てもらいました。
一部の看護師さんとはもう顔なじみになっています。
4年前、そのまま強制入院させられた時に励ましてくれた、高畑淳子似のベテラン看護師さんが今年もいた。
あの時退院後に直筆のお手紙を頂戴し感激したのを思い出した。私のことを覚えていてくださり、とても嬉しかった。
他にも、採血の際「少しだけチクッとしますよぉ〜」と今年も優しい声をかけてくれた清水美砂似の看護師さん。
左手薬指の指輪がやけに眩しい。途中で動く時計の針を凝視することで我に返る。

検査自体はそんなに楽しいものではないけど、1泊2日の中で最大の楽しみが食事と大浴場。
偶然会社の先輩と一緒になり、その先輩は食事の写真を撮りまくっていた。
どうするのかと伺うと、嫁さんに見せるのだそうだ(お泊りは浮気じゃないことを証明するためでしょ?だったら僕も一緒に写りましょうか?と聞いてみたが、それはノー・サンキュウーと言われた)。
確かにこの病院の食事は美味しいと評判だ。今年も栗ごはんや、ヒレ肉が出てきた。
シャケ寿司ごはんはおかわりしてしまった。

モリモリ食べた後、総合診断で担当医師から言われたのは
「脂肪肝ですね。あとメタボ気味ですから気を付けましょう。それから、呼吸を止めずにお腹をへこませる運動もしましょうね。」その他も色々言われたが、そこしか覚えていない。

様々な検査の詳細結果はデータと一緒に後日自宅に郵送されて来るので、その時にしっかり確認するとして、確かに医師から言われたことに心当たりはある。
それは、この1年間で、スーツのズボンが合わなくなっていること。
無理やりベルトを締めていたら、新しかったはずのベルトが写真のようになってしまった。
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このベルトは、私が入社した当初からお世話になっている人から頂いた大切な品なのに・・・。
反省しています。とりあえず、お腹をへこませる運動から始めます。

2014年04月17日

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【担当アナウンサー:一柳 信行】


センバツ高校野球も終わり、今度は各大学の春季リーグ戦、そしてプロ野球が開幕。
野球ファンにとっては楽しみなシーズンとなりました。
甲子園の時期になると、不思議とキャッチボールをする子供達が増えるなんて、よく言います。
やはり甲子園って少年の心をひきつけてやまない何かがあるんでしょうね。

 かく言う私も高校時代までは白球を追いかけていた一人。
延長戦入り直前の9回2死からサヨナラ本塁打を打たれて夏が終わるという残酷な幕切れでした
が、それも青春時代の良き思い出。
今はRCC野球部で、あの頃の様な爽やかな汗ではなく、動かない体を冷や汗で濡らしながら楽しんでいます。


そんな私にもう一回甲子園を目指そうよ!という誘いが同級生からかかってきました。
ピンときました。「マスターズ甲子園」という大会です。
これは数年前から始まった大会で、高校野球経験者が社会人となっている今、出身校のユニフォームを着て各地方予選を勝ち抜いて、憧れの甲子園球場で試合をする全国大会のことです。
以前、県工が出場しているのをTVで見たことがあって、いいなぁ〜、あそこで試合が出来て・・・、と思った記憶がありましたが、正直一部の野球名門校OBしか手が届かない大会なんだろうと思っていました。
結構そう思っていた人は多かったみたいです。



しかし、よく考えてみれば、大学・社会人野球上がりのバリバリと言われている人はそう多くないし、マスターズといわれている大会なので、試合を楽しめるように配慮されていて、出場選手の年齢制限もある。
あまり若い人ばかりが同時に出場できないようになっている。
それなら我々にも本戦出場のチャンスはあるぞ(ここで勘違いしてはいけないのが、あくまでもチャンスだけはあるということなのだが・・・)ということになり、私の同級生が音頭をとって、県予選から出場することになりました。


とはいえ、普通の公立高校ながらも、やはり諸先輩方の時代があってこそ私達の代があり、更には後輩達も何百人といる。そこはまず野球部OB会長に打診をして出場の許可をとり、可能な限り、各代のOB達に連絡をとって名簿作りから始めました。こういう時に世話好きの同級生がいてくれて本当に助かりました。


さっそく3月上旬に寒風吹きすさぶ中、OB会長が見守る中第1回の練習開始(私は勤務のため欠席)。
都合がついた数人からスタートしたが、これが想像した以上に悲惨な状況だったらしい。
とにかく体が動かない。1つ上の先輩で今は唐沢寿明にそっくりなY先輩は、見た目は凄くカッコイイのにそりゃイケんじゃろ!とツッコミが入りまくっていたらしい。
現役時代にそんなツッコミをしたなら、当然その日の夜は説教をくらっていたはずだが、もうみんないい歳である。
いい雰囲気だったらしい。
正攻法ではキツイと判断したある同級生は、大先輩の山本浩二さんに頼み込んで、何とか予選免除にしてもらえないか?とそれとなく私に探りを入れてくる者もいた。なるわけがない。

とりあえず県予選の初戦の日時が決まりました。場所は呉。
私「二河球場か。高校3年の夏の予選以来じゃの。」と言うと、
同級生「いや、呉の何とかグラウンドじゃ。しかも朝9時から。」
私「それって何処にあるん?」
再度同級生「わしもようわからん。みんな知らんって言いよったで。」
野球の技量よりも、まずはその場所にたどり着くことが出来るのか、そこが一番心配になってきた。
我が軍は本当に大丈夫なのだろうか。
そして、もし甲子園にまでたどり着けたら、私が打席に立っているときは
「一柳!自分で実況しながら打て!」と言い始める先輩がいたらどうしよう?
楽しい妄想である。
                 
追伸:先週マツダスタジアムで大OBの山本浩二先輩にお会いしました。
マスターズ甲子園の予選に出場する旨をお話ししたところ、とてもにこやかにほほ笑んでくれ、
「お〜ぉ、ほうか。頑張れ。」と励ましてくださいました。
やはり大OBは器が大きいなぁ。

しかし、大変なことを一言伝え忘れたことに後から気が付いた。

「先輩も一緒に出ませんか?。」この一言を・・・。

もし実現したら、相手校チームはびっくりするでしょうね。

2014年01月16日

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【担当アナウンサー:一柳 信行】


あれは去年の秋のことでした。会社に一本の電話がかかってきました。
「もしもし、○○小学校のKです。」
名前を言われなくてもその声を聞いただけで、すぐにピンときました。
Kさんとは、私が中学生時代の担任の先生だったからです。  


ずいぶん久しぶりに声を聞きました。
最後に会ったのは、私がまだ入社2〜3年目の夏、旧市民球場の正面玄関前で甲子園県予選の取材中の時でした。
顔を合わせても「あなた、誰でしたっけ?」と言ってしまう人との再会もあれば、
今回のK先生のように、顔を見なくても声だけ聞けば分かる人がいます。
それだけ私にとってK先生は、とても強烈な先生でした。
強烈といっても昨今問題視されている体罰を受けたからではなく、仲間を思う大切さや言葉で相手を説得することの大事さと難しさ、いじめは絶対に許さないといった、大人になってからも守り続けなければいけない幾つかのことを教わりました。
場所を使ったら、使う前よりもきれいにして返還するのが当たり前というのもK先生からの教えでした。

そのK先生から依頼を受けました。
その内容はというと「自分は来年の3月いっぱいでこの職から離れます。子供達にしてあげられることは、もう残り少ない。その一つとして、子供達がこれからの人生で希望をもっていけるよう、人生の先輩として君から子供達に何かお話しをして欲しい。ほんの少しだけでもいいから。」こんな内容でした。
このような相談をもちかけられることは過去に何回かありましたが、まさか自分の恩師からうけるとは思ってもみませんでした。

何とか力になりたいと思いました。
しかし私の勤務の都合がつかず、結局事前にK先生が勤務する小学校を訪ねて、
数分間のビデオを回してもらってのVTRメッセージの形をとらさせてもらいました。


帰り際にK先生から、お土産とは別に白いビニール袋に入った小さなものを手渡されました。
開けてビックリ。出てきたのは私の担任をしていただいていた当時の「班ノート」でした。
これを私たちは先生との「対話ノート」と呼んでいました。
多少やり方や呼び名の差はあっても、班ノートってあなたも小中学校時代にやった記憶はありませんか?。
担任の先生と、自分や班とを繋ぐノートでしたよね。
K先生は長い教師生活の中で対話ノートをずっと家に保管されていたそうで、今回私との再会に合わせ自宅から持ってきてくださったのです。

これは、大変なノートを受け取ってしまった・・・というのが正直な気持ちでした。
先生にとっては当時受け持った子供達と一緒になって色々なことに取り組んだ証しのもの。
でも私にとっては、将来にむけて無限の可能性を信じていた年齢の頃で、かなり背伸びをして書いていたこともあったはずの恥ずかしい思い出の品。とても人様に見せられるものではなく、受け取った瞬間赤面してしまいました。
対話ノート

そのK先生からは、去年の秋、カープがクライマックス・シリーズ1stステージ突破を決めた私の甲子園での実況を聴いて下さっていて、放送終了後ねぎらいのメールを頂きましたし、これからの私を励ましてくれる一言も添えてくださいました。
歳が明けた今月2日、K先生を囲んで当時の同級生が企画してパーティーが開かれました。
もちろん定年退職を控えた先生に、感謝の気持ちを形にして贈るためのパーティーです。
私は勤務のため参加出来ませんでしたが、きっといい会になったと思っています。
そして先生から預かっている対話ノートは、今だに開くことが出来ません。恥ずかしすぎて。
桜が満開になる頃までには、勇気を出して一度開いてみようと思っています。
そして先生にお返しをするつもりでいます。

2013年09月12日

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【担当アナウンサー:一柳 信行】


9月の中旬になりました。
気象庁が発表していた長期予報通り猛暑になった今年の夏もようやく終わりを告げてくれて、ほっとしています。
去りゆく夏を惜しむなんてよく言われますが、今年はあまりの暑さに耐えきれず、
早く去ってくれ!このクソ暑い夏野郎めが!!と思っていたので、実はほっとしているどころか、
嬉しくって仕方がないというのが正直な思いです。

夏が過ぎたあと時々話題になるのが、夏の思い出。
宿題が間に合わずに親に叱られた人の話をよく聞きます。
この歳になると宿題なんて当然無いわけで、自分の子供時代のことはさておき、
叱る側に回っている同級生がたくさんいます。
子供の頃は一年一年その夏にあった印象的な出来事は結構鮮明に覚えていますが、
大人になって就職してしまうと、よほど大きなことがない限り、
この夏の思い出って何?って聞かれても、とっさには出てこないもの。
家〜野球場〜会社〜家〜再び野球場〜再び会社〜家というサイクルにはまってしまい、
今年もまた、見事なまでの運動不足体型が完成してしまいました。

そんな例年とさほど変わり映えのしない夏を過ごしていた一柳ですが、8月の末にちょっとびっくりすることがありました。
自宅の軒下に、蜂の巣を発見してしまったのです。
最近ちょっと蜂を見る機会が多いなぁとは思っていました。
実はうちは過去に何度か蜂の巣を作られたことはあります。
巣を見ること自体にはそれほど驚きはしないのですが、今回のはちょっとデカい。
大人の握り拳なんてもんじゃない。はるかにデカい。
どうしてこんなに大きくなるまで気が付かなかったのか?と思いましたが、もう遅い・・・。
というわけで、駆除することにしました。

とはいえ、相手は蜂。ミツバチのように愛くるしいのなら放っておこうかなと思いますが、よぉ〜く見るとアシナガバチだ。
スズメバチほどの凶暴性はなくても、刺されたらきっと痛い。いや、100%痛い。
そういえば、小学生のころ近所の家に出来ていたアシナガバチの巣を覗き込んでいたら、
ふくらはぎを刺されたことを思い出した。
でも、そのままにしておくことは出来ない。男一柳、蜂の巣の駆除に乗り出しました。

駆除するならイッキにしてしまった方がいい。
というわけで、何時ごろが一番たくさんの蜂が巣に戻って来ていそうなのかを父に聞いたところ、夕方だと教えてくれた。
「そ〜か、夕方なのか。いや、待てよ。
スズメバチは夕方は気が立っていて危険だと、テレビが言っていたぞ(うちはアシナガバチだけど・・・)。」
でも仕方がない。決行時刻は夕暮れ時と決定。
刺されないための工夫は?
「スズメバチは黒いものを見ると興奮するってテレビでは言っていたぞ(何度もいいます、うちはアシナガバチなんですけど・・・)。」
というわけで、暑いけど全身白づくめの長そで長ズボンに着替えた。当然髪の毛も隠すため白い帽子を被って。
殺虫剤はどうする?「蚊取り用のやつが家にあったので、それを使おう。効果が無かったらどうする?効くと信じて使おう。」

てなことを考え、西の空があかね色に染まっていたある日に決行しました。
巣を見ると蜂がいるいる。数なんて怖くてとても数えられない。皆お尻の辺りがヒクヒク動いているではないか。
あの中に毒針があるのかと思うと、ちょっとひるむ・・・。
腰を引きながら近づいた末、殺虫剤スプレーのボタンを押した。
「えい!!」

白い粉が噴霧された。しかしこの粉の勢いが、ことのほか弱い。
「しまった、テストしたときには、あんなに勢いよく出たのに・・・。」
巣に届くかどうか微妙なところまでしか広がらない。
しかも驚いた奴らが出てくる出てくる。
こうなると取るべき道はひとつ。逃げるしかない。全力で逃げた逃げた。
俺ってこんなに足速かったっけ?というくらいの速さでした。
奴らは羽を持っている。追いつかれちゃいけないもんね。
一目散に玄関まで回り込んで、戸を勢いよく閉めた。
「ああ〜ぁ、びっくりした。」

翌朝確認に行くと、数匹が地面で成仏していました。でも大きな巣はやはり健在。
「もう一回やらんといけんね。」と思いながら出勤。
その翌日だった。帰宅したら父が明るい声で
「蜂の巣、落としといたで。」
更に
「あんなもん、シャーッ!!ってスプレーかけたらすぐよ。」だって。
さすが昭和ひと桁生まれ。根性が愚息の私とは違う。

2013年05月09日

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【担当アナウンサー:一柳 信行】


今年のGWも終わりました。
特に5月の3・4・5日は珍しく雨の心配を全くせずに済んだ3日間になりました。
今年は菓子博もあった上、毎年広島市内中心部でフラワーフェスティバルが開かれます。
弊社にとって、これは全社的な大きなイベント。
セクションを問わず、ほぼ全員出社になります。
例年この3日間の何処かで雨が降るというのが定説のようで、私の入社してすぐに先輩方から
「フラワーの期間中は3日間共に晴れたためしがない」と聞かされました。
実際は3日間全て晴れた年もあったのですが、
とにかく晴れて欲しい・・・という願望がそういう言葉となって言い伝えられてきたのでしょう。


毎年アナウンス部員は総出になります。
私も去年は一番大きなステージ=カーネーションステージの進行役でしたが、今年は完全にノータッチでした。
出張で東京へ行っていたからです。
まぁ〜、人の多いこと多いこと。広島駅に着いた段階から大混雑。
新幹線指定席は窓側の席は当然取れず、通路側の席へ。
一つ前の席には1〜2才の女の子を連れた若い夫婦が乗っていました。
その女の子は途中から身を乗り出して、私の方を見ているのです。何て愛くるしいのでしょう。
幼い子に見つめられると笑顔でそれに応えようとするのが人の常。
色々な表情を作って相手にしてあげたら、とても喜んでくれていました。正直めちゃくちゃに嬉しい。

名古屋が近づいてきた。
両親が下車の準備を始めました。その女の子ともお別れの時間が近づいてきました。
バイバイをしてあげたら、私の方にトコトコと歩いてきたそうにしていた。
私としてはかなり嬉しい。
でも両親としては、よそ様に迷惑をかけてはいけないと思ったのでしょう。
「すみませんね〜。」と言って顔を合わせた瞬間、お互いが声をあげました。
「あああ〜っ!!」その車両の端っこまで響きわたるような大声を。
その幼い娘の父親が、私の知り合いのスポーツ新聞社の記者だったからです。
こんな偶然って凄いと思いませんか?
私は東京へ。彼ら親子3人は名古屋の知人のところへ行く最中だったとのこと。
数少ない休みを使っての家族サービスだったようです。
なんだか私を含めた4人がホッとするような出来事でした。


そして帰りは黄昏どきを迎えた東京駅でのこと。
新幹線の車内で通路を挟んでの向こう側に一組の老夫婦がいました(今度は知り合いではありません)。
着席した瞬間に、奥に座っていた女性が泣き始めました。
窓越しに、これまた2才くらいの男の子が手をふっているのです。
可愛い孫とのしばしのお別れはとても切ないもの。
隣の旦那さんとおぼしき男性がそっと慰めていました。

数年前にまだその位の年齢だった姪が自宅に遊びに来たとき、
私は出勤するためにバイバイをしたら、とたんに大声で泣かれてしまった。
さすがに私は泣きはしませんでしたが、
幼い子に泣かれたら大人としてはとても切なくなったことを思い出しました。

車両が動き始めた数分後、その女性はモリモリ駅弁を食べていたのには笑いましたが、
今年のGWの民族大移動の中、どんな出会いがあって、どんな家族愛が生まれたのか
ちょっぴり考えた一柳でした。

2012年12月20日

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【担当アナウンサー:一柳 信行】


年末です。先生も走り出すといわれる慌ただしい時期を迎えました。
では、アナウンサーはどうなのかというと、人によって全く違います。
情報・報道系、バラエティー系の人は、年末年始の特番用のロケや取材がたて続けに入るので多忙になります。
(特に今年は衆議院議員選挙が入ったことで全社的にてんてこ舞いでした。)
で、私のような社内では少数派のスポーツおしゃべり軍団はどうなのかというと、実はこの12月が一番ホッと出来る時期なのです。プロ野球が一段落し、各自担当の他の競技も12月上旬だけは大きな試合がありません。というわけで、この時期に少しまとまって休みを取る人が多くなります。

あなたは長い休みが取れると何がしたいですか?
私はまず一番に思うのは、定番ですが海外旅行ですね。しかもここ数年は円高だし、海の美しい南の国にでも飛んでマリンスポーツを楽しみたいのですが、世の中そんなに甘くない。
海外に一人で行ってもつまらないし、そんな勇気もない。誰かを誘いたい。でも、だいたい12月は年末を控え、世間は一番忙しい。そんな時期に大手を振って会社を休むのは、相当な覚悟と勇気がいるはず。
なので、結局単独行動でぶらぶらするのが近年の私のパターン。
今年はどうしたのかというと、そのうちの一日は呉に行っていました。ずいぶんと近場だ。
なぜ呉なのかというと、大和ミュージアムに行ってみたかったからです。
呉はスポーツの取材や実況で一年に一度はお世話になっている地ですが、最近は仕事抜きでいったことがありませんでしたしね。

いつも行くときは車でした。でもたまには電車に揺られてみるのも良かろうと思い、JRを使いました。
呉線に乗るのは本当に久しぶり。はっきりとした記憶が残っているのは高校3年生の夏、甲子園大会の県予選で二河球場に行った時くらい。負けたら終わりなのでハイテンションになってしまい車中のことは全く覚えていませんが、大人になってから見る車窓からの風景は実に美しかったですね。

この日は朝から晴天に恵まれていた。波静かな青い海のきらめき。向こう側には深い緑の島。
その間を高速船が通ると、後ろには長く白い軌跡が。そして私の横には眠りこけている大学生・・・。
もたれかかられても全然気にならない。
対向列車の通過待ちもあったような気がする。これは単線ならでは。
見るもの全てが新鮮なので、待ち時間があってもそれはそれで、いとおかし。

一番笑えたのは呉駅に着く2〜3手前の駅でのこと。
停車中に山手側を見ると、駅のすぐ横の竹やぶにドラえもんのぬいぐるみを発見。
しかもそのドラえもんはブランコに乗っているではないか。風が吹いて竹やぶが揺れると、ブランコも揺れる。
まるでドラえもんがこいでいるかのように見える。
多分近所にお住まいのかたが作ったのでしょうが、あの遊び心に、その人の発想の豊かさを感じました。

昼の呉の街も散歩したかったのに、大和ミュージアムをじっくり見すぎた関係で、いつの間にか夕暮れ時に。
あとは、てつのくじら館にしか行けなくなってしまった。
これが夏だったら、あと2時間以上は街歩きができたはずなのにと思いながら、暗くなったホームで電車を待った。
あの日感じたのは、車窓から見た景色の美しさ。そしてちょっとだけ鉄っちゃんの気持ちかな。